日本植物界の父と言われる牧野富太郎博士。
2022年は牧野富太郎生誕160年の年です。
牧野富太郎さんは13人の子供をもうけ、そのうち育ったのは7人です。
その子供たちや子孫はどうなったのか気になったので調べてみると、孫やひ孫の方がいらっしゃることがわかりました。
その牧野富太郎の子孫(ひ孫)である、現在牧野記念庭園の学芸員の牧野一浡(まきの かずおき)さんと、孫の岩佐まゆみさんを中心にまとめてみました。
「牧野富太郎の子孫の現在は?博士は孫に木の名前を命名していた!」と題してお伝えします。
牧野富太郎の子孫は?
牧野富太郎は二度目の妻小沢寿衛子との間に13人の子供をもうけました。
そのうち育ったのは7人です。
牧野富太郎の子供
長女・香代
次女・鶴代(1898年5月12日 – 1970年5月12日)
長男・春世
次男・百世
三男・勝世
三女・巳代
四女・玉代(1910年9月10日生まれ)
牧野富太郎の孫
岩佐まゆみ
牧野富太郎のひ孫
牧野一浡(まきの かずおき)
この中から調べてわかった人を紹介します。
牧野富太郎の次女鶴代
牧野鶴代(まきの つるよ)
1898(明治31)年5月12日 牧野富太郎の次女として誕生
1917(大正6)年(19歳)弁護士、無産運動家(のちに転向)・額賀二郎と結婚して2男1女をもうけましたがのちに離婚しました。
1928(昭和3)年(30歳)に母寿衛子が亡くなった後、父である牧野富太郎を献身的に支えました。
1957(昭和32)年 父である牧野富太郎が亡くなった後、
- 約4万5000冊の蔵書を牧野富太郎のふるさと高知県の牧野植物園に寄贈
- 植物標本は都立大学(現首都大学東京)に寄贈
- 東京練馬区の居宅を東京都に寄贈しました。
居宅跡は牧野記念庭園となり、鶴子さんは非常勤職員として庭園管理を担っていました。
「集成牧野植物図鑑」「牧野植物随筆集」を出版
1970(昭和45)年5月12日 72歳で永眠
牧野鶴代さんは植物の知識が豊富で、植物同好会で講師を務められるほどだったそうです。
俳句や和歌も詠み、三味線もかなりの腕前(母寿衛子から手ほどきをうけた)だったとか。
植物の知識は父の牧野富太郎から、そして母寿衛子からは三味線の腕を受け継がれたことが素敵ですね。
そして後にわかることですが、父である牧野富太郎の残した膨大な資料を研究したいと、ずっと保存していたそうです。
孫の牧野一浡さんが牧野記念庭園記念館の学芸員を務めることになった際に、その資料が出てきました。
牧野富太郎の一生をかけた研究は子孫の方々によって守られていたことがすばらしいと感じます。
牧野富太郎も寿衛子も天国で喜んでいるのではないでしょうか。
鶴代の孫・牧野一浡(まきの かずおき)
牧野一浡さんは牧野富太郎のひ孫にあたります。
牧野一浡さんは10歳まで牧野富太郎と一緒に練馬の家に住んでいました。
研究に没頭する牧野富太郎に、「おじいちゃん、ごはんですよ」と夕ご飯の準備ができたことを告げに行ったりしていたそうです。
牧野一浡さんは現在牧野記念庭園記念館の学芸員をしていらっしゃいます。
初期の牧野記念庭園には学芸員がいませんでした。
あるとき、親せきから牧野富太郎の遺品(写真・原稿・博物図など)を託されました。
それらは牧野一浡さんの祖母の鶴代さんが研究のために残しておいたものでした。
おりしも2008年ごろに庭園のリニューアルが行われることになり、それらの貴重な資料も文化財として保管されることになりました。
そのタイミングで、普通のサラリーマン生活を終えた牧野一浡さんは学芸員の資格を取り、庭園の管理に携わるようになったそうです。
貴重な資料が、子孫の手によって保存・管理されていることが素晴らしいですね!
牧野富太郎の四女玉代
牧野玉代
1910(明治43)年9月10日生まれ
川村女学院卒。
五交商事、日本造型各元会長・岩佐喜七と結婚しました。
- 娘・岩佐まゆみ(1936年6月9日生まれ – )
成蹊学園卒 - 岩佐喜七の養子・岩佐吉晃(1965年3月4日 – )
成蹊大学卒
日本石油ガス勤務
没年不明
玉代さんについては詳しいことはわからなかったのですが、牧野記念庭園の牧野富太郎の胸像の除幕式に、三女のさん巳代さんとともに参加されている写真が残っています。
右側が玉代さんでしょうか。
お父さんの銅像が造られるのを姉妹で見ることができて、さぞ嬉しかったのではないかと思います。
玉代の娘・岩佐まゆみ
牧野富太郎の四女の玉代さんの娘が岩佐まゆみさんです。↓
岩佐まゆみさんの名付け親は、牧野富太郎でした。
最初は違う名前が候補だったのですが、牧野富太郎が「芯のしっかりした強い子に育つように」と庭のマユミの木からとったということです。
当時は斬新な名前だったようですよ。
きっとマユミの木というのはしっかりした強い木なのでしょうね。
当時としては斬新な名前を木の名前からつけてくれたというのは嬉しいことと思います。
岩佐まゆみさんは、祖父である牧野富太郎に大切にかわいがってもらった思い出もあるそうです。
また岩佐まゆみさんの高校卒業のお祝いにと、牧野富太郎が病床から横になったまま書いた2枚の色紙を送られたそうです。
櫻花 朝日に匂ひ 咲きにけり
山桜 旭日に匂ひ 咲きにけり
朝日に匂い咲く、可憐な桜がすがすがしい句ですね。
高校を卒業した孫の若々しさと、明るい前途を桜に見立ててお祝いしたのでしょうか。
牧野富太郎は桜が好きで、日本中を桜で埋め尽くし、それを空から観たいと思っていたそうなのです。
そんな桜の句を送った、岩佐まゆみさんへの愛が感じられるエピソードですね。
名前と思い出と色紙は、岩佐まゆみさんにとって一生の宝物ですね!
まとめ
「牧野富太郎の子孫の現在は?博士は孫に木の名前を命名していた!」と題してまとめました。
牧野富太郎の子供は13人生まれ、そのうち7人が育ちました。
牧野富太郎の子孫として調べてわかった人は
- 次女・鶴代さん
- 四女玉代さん
- 鶴代さんの孫(牧野富太郎のひ孫)・牧野一浡さん
- 玉代さんの娘・岩佐まゆみさん
です。
牧野富太郎のひ孫の牧野一浡さんは現在、牧野記念庭園の学芸員として、牧野富太郎の残した貴重な文化財を管理されています。
牧野富太郎の孫の岩佐まゆみさんは、生前の牧野富太郎から名前や句を贈られていました。
最後までお読みくださりありがとうございました。