よだかれん議員が2022年4月11日、夏の参院議員選挙東京都選挙区の公認候補としてれいわ新選組から擁立されました。
よだかれん議員は、2019年の新宿区議会議員選挙で初当選し、主に性的マイノリティの人権を擁護する活動に力を入れ活動されています。
よだかれん議員自身も男性として生まれ、女性に性転換した方です。
そんなよだかれん議員はどういう学生時代を過ごされたのか、学歴・プロフィールが気になる人もいるのではないでしょうか!
よだかれん議員がいつごろ女性として生きようと決意されたのかも、調査しまとめてみました。
この記事でわかること
・よだかれん議員の学歴とプロフィール
・よだかれん議員はいつ女性になったのか
よだかれん議員の学歴
よだかれん議員の最終学歴は
青山学院大学法学部私法学科
です。
小学校からの学歴は以下のとおりです。
1975年 吹上小学校入学 *当時は埼玉県北足立郡吹上町(現在は鴻巣市)に在住
1983年4月 沖縄県那覇市立上間小学校へ転校(6年生)
1984年 那覇市立寄宮中学校入学
1987年 沖縄県立開邦高等学校入学
1988年 愛知県立日進西高等学校転入学 大学受験失敗
1990年 代々木ゼミナール名古屋校入学
1991年 青山学院大学法学部私法学科入学
1995年 同大学卒業
よだかれん議員は中学校時代優等生だったそうで、高校は沖縄で偏差値トップの進学校へ進学されました。
沖縄県立開邦高等学校(かいほうこうとうがっこう)は公立の学校で、偏差値は49-67(学術研究科)です。
卒業生が進学するのは琉球大学はもちろん、全国各地の国立・私立大学ですが、とくに九州・山陰地方・近畿地方や東京の大学も目立ちます。
医療系を目指す人も多くいるようで、優秀な学生が集まる高校のようですね。
そしてよだかれん議員は一浪しています。
代々木ゼミナール名古屋校へ入り、人気講師のエンターテインメントのような講義を受けるため良い席を確保し、楽しみに受けていたそうです。
勉強を面白く感動的にしてくれる講師と出会えたことが良かったのですね。
よだかれん議員の偏差値は20以上アップしたそうです。
こうしてよだかれん議員は一浪の末、青山学院大学法学部へ進学し、卒業されました。
よだかれん議員の本名とプロフィール
よだかれん議員が女性になる前の名前とプロフィールをみてみましょう。
#ボレンズ真由美 さんが素晴らしいナビゲートをして下さり、よだかれん伸び伸びと人生を語っております。お聴き頂けたら嬉しいです♡
Listening to “053_対談:よだかれんさんのストーリー” at https://t.co/f1apBu7Akx pic.twitter.com/xtDzOUj5tr
— よだかれん新宿区議会議員 (@karenshinjyuku) April 2, 2022
美しい方ですね。
名前:依田花蓮(よだ かれん)
元名:依田秀亮(よだ しゅうすけ)
生年月日:1972年1月27日
出生地:愛知県豊橋市
身長:180㎝
足のサイズ:28センチ
兄弟姉妹:兄一人、弟一人(次男)
三人兄弟の真ん中だったのですね。
幼稚園の先生に心配される
1975年3月埼玉県北足立郡吹上町(現在は鴻巣市)へ転居し、吹上町立やなぎ幼稚園に通いました。
幼稚園の頃、先生から、女っぽい行動をとっていることを心配されています。
このころから、自分の中の女性の部分を感じていたのでしょうか。
多感な時期のできごととカミングアウト
小学校6年生に進学するタイミングで沖縄に引っ越し、高校1年の終わりに愛知県に引っ越すまでの多感な時期を過ごされました。
街中を米兵が闊歩し、まだまだ戦争のつめ跡が残り不発弾撤去で学校がお休みになるというようなことが身近に起こっていたこの地で、小学6年生から高校1年生という人生で最も多感な思春期を過ごしたということが、私を“戦争と平和” “国家と国民”というようなことが非常に気になる人間へと育てたように思います。
<代表プロフィール:ちいさき声をすくいあげる会より引用>
沖縄での生活で感じたことが、のちに政治家となって世の中をよりよくしたいという志に繋がっていったのでしょうね。
高校生のときには、大好きだった男子に告白し、ふられたそうです。
このころはもう、ご自分のことをゲイだと認識していたようですね。
このあと大学時代にゲイだとカミングアウトされ、人生のパートナーとの出会いもこのころあったということです。
就職活動としてはアナウンサー試験をいくつか受けたそうですが、そのほかはほとんどせず、芸能界を目指していたそうです。
芸能界にデビュー
よだかれん議員は大学卒業後、ダンサー・ミュージカル俳優として活躍されます。
1997年 新宿住友三角ビル49階 ギャルソン・パブ にてついにショーパブデビュー
1998年 新宿二丁目ラ・セゾン(現在は閉店)へ移籍
2000年 商業演劇デビュー
・舞台やミュージカル・映画・テレビ、歌番組のバックコーラスなどに出演
2007年 ショーパブ六本木金魚に籍を置く
そこで先輩のニューハーフダンサーさんとの会話を機に自分の本当の気持ちに気が付き、迷い悩んだ末に、ゲイではなく女性として生きていきたいと強く思うようになっていったそうです。
女性として生きる決意は36歳の誕生日に
そしてよだかれん議員は36歳の誕生日の日に、女性として生きていくことを決意されました。
ホルモン療法を開始、性別適合手術を受け、戸籍の性別も女性に変更しました。
2008年1月(36歳)ホルモン療法を開始
2008年6月 豊胸手術&性別適合手術を受ける
かれんという名前の音をパートナーが考え、自分で「花蓮」という漢字を当てはめたそうです。
「泥沼でも美しい花を咲かせる蓮の花のように、どのような世の中になったとしても美しい心を持っていたい」
そんな願いを込めました。
<代表プロフィール:ちいさき声をすくいあげる会より引用>
最初はご両親に女性の命名を頼みましたが断られたそうです。
ご両親も、複雑な思いをされていたのだと思います。
でも、よだかれん議員の「もういちど両親に名前を付けてほしい」という気持ちもわかりますよね。
きっと女性として生まれ変わることを、自分を生み出してくれた両親に認めてもらい、祝福してほしかったのではないでしょうか。
のちに、よだかれんさんの母親が入院した際、かれんさんが看病をされたことをきっかけに母親の気持ちもほぐれ、花蓮と呼んでもらえたというエピソードがあります。
なんだか胸が熱くなりますね。
2009年(37歳) 戸籍以上の性別も女性に変更
・女性としての舞台活動にもどる
2011年 行政書士試験のための勉強時間を確保するため、時間がとれるショーパブ界に復帰
2013年(41歳)行政書士試験に合格し開業
・ショーダンサーもしながら「踊る行政書士」として活動開始
・LGBT研修・講演なども行う
2017年 ショーパブ界を卒業
2019年(47歳)4月 新宿区議選挙で当選 現在に至る
よだかれん議員は、はじめは自分をゲイだと思い公言していましたが、本当は女性として行きたかったという思いに気付きました。
そのままゲイでいることのほうが風当りも強くならないし、両親始め周りにも黙っていればそのまま生きていけると悩んだそうです。
しかし女性として生きることを選び、実行に移されました。
これはとてもエネルギーのいることで、よく決意されたと思います。
しかし本当は、悩むことなく誰もが本来の自分の姿で生きていっていいのですよね。
そのために法の整備をもっと進めたり、偏見をなくしていくことがこれからも必要だと思います。
まとめ
「よだかれん議員の学歴とプロフィール!女性として生きると決意したのはいつ?」と題して、まとめました。
よだかれん議員の最終学歴は青山学院大学法学部私法学科です。
よだかれん議員は1972年1月27日に男性として生まれ、依田秀亮(よだ しゅうすけ)と名付けられました。
芸能活動を長く続け、2008年36歳のときに女性として生きることを決意、ホルモン療法、性別適合手術を受け、戸籍の性別も女性に変更しました。
芸能活動を続けながら行政書士資格を取得、よだかれん事務所を設立しました。
2019年に新宿区議選挙で当選し、政治家に。
2022年4月11日、れいわ新選組により夏の参院議員選挙東京都選挙区の公認候補として擁立されました。
これからますますご活躍されることでしょう。
最後までお読みくださりありがとうございました。